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恩地孝四郎ほか新東京百景(創作版画)や新版画等の木版画を出張買取

東京都港区麻布(東京メトロ・都営地下鉄 麻布十番駅・六本木駅、都営地下鉄 赤羽橋駅)にて、昭和4年(1929)から刊行された昭和初期の東京風景を描いた創作版画集『新東京百景』(非売品・限定50部)や昭和天皇の御大典記念として出版された『濠端十二景』ほか木版画(新版画)、石井柏亭・大谷句仏・中村不折などによる自筆俳画帖『俳味大鑑』を出張にて買取りさせていただきました。貴重な品をお譲りくださりありがとうございました。
こちらの買取事例は創作版画集『新東京百景』、『濠端十二景』ほか木版画(新版画)、自筆俳画帖『俳味大鑑』の3つに分け、今回は版画集『新東京百景』ほか木版画(新版画)についてご紹介いたします。自筆俳画帖の買取りについてはブログ記事「自筆俳画帖(高浜虚子句・小川芋銭画ほか多数)を出張買取いたしました」、『濠端十二景』ほか木版画(新版画)の買取りについてはブログ記事「鏑木清方ほか濠端十二景など木版画(新版画)を出張買取いたしました」をご覧ください。


書名:新東京百景
著者:恩地孝四郎・川上澄生・前川千帆・平塚運一ほか
出版社:創作版画倶楽部
発行年:昭和4年(1929)~昭和7年(1932)
備考:創作版画 非売品 限定50部

【新東京百景(創作版画)商品詳細】

日本において木版画というと浮世絵や錦絵といった江戸時代や明治時代初期頃に制作されたものが有名ですが、明治30年前後から昭和時代において浮世絵の近代化・復興を目指して描かれたものを新版画といいます。また、明治時代末期から大正時代にかけては自画・自刻・自摺の創作版画も盛んに制作されました。
明治時代末期から昭和時代にかけての版画家としては石井柏亭・恩地孝四郎・竹久夢二・小林清親・橋口五葉・川瀬巴水・川上澄生・棟方志功・池田満寿夫などが有名です。

創作版画集『新東京百景』は恩地孝四郎・諏訪兼紀・平塚運一・川上澄生・深沢索一・藤森静雄・逸見享・前川千帆といった大正時代から昭和時代の版画家8人が、関東大震災による被害から復興し始めた東京の風景を描いた創作版画集です。
上記8人は昭和3年(1928)に卓上社を結成し、日本橋丸善で展覧会「第1回卓上社展」を開催しました。そこで出品された創作版画のなかに『東京風景』と題するシリーズものの版画が各1点(計8点)あり、翌年の第2回卓上社展においては『東京百景』と題したシリーズ25点が出品されます。こちらが同年に中島重太郎を主宰として設立された創作版画倶楽部によって、創作版画『新東京百景』の第1期として限定50部の会員頒布がされました。以後、昭和7年(1932)までに全100点が頒布されます。
しかし会員限定の少部数であったことと戦災などもあり、第二次世界大戦後には「幻の百景」と呼ばれていました。

昭和51年(1976)、東京都美術館が創作版画集『新東京百景』の完揃いを入手したことをきっかけとして、昭和53年(1978)にはそれを底本として原寸・原色で復刻された『新東京百景』(愛蔵版は限定330部・木版画三葉付)が平凡社から出版されます。現在読める創作版画集『新東京百景』としては、当店も資料として用いたこちらの平凡社版となります。
創作版画倶楽部によって昭和4年から順次発行された創作版画集『新東京百景』は非売品かつ発行部数も50部ということもあり、揃っているものは非常に貴重です。こうした品物は美術館・博物館や、愛好家・蒐集家の方からも喜ばれます。

なお、『新東京百景』は基本的には限定50部となっていますが、恩地孝四郎「二重橋早春」「明治神宮」のように発行部数の異なる作品もあります。

◎恩地孝四郎
恩地孝四郎は創作版画の振興普及や表現主義的抽象版画の先駆者としての前衛性が高く評価されている版画家・装幀家です。
明治42年(1909)に中学校を卒業すると、東京美術学校卒業生や一般洋画専攻者の研究機関として創設された白馬会洋画研究所に通い始め、版画家として知られる田中恭吉、創作版画集『新東京百景』の共同制作者である藤森静雄、池内三郎などと知り合いました。また、同年に刊行された『夢二画集 春の巻』をきっかけに近所に住む竹久夢二との交友が始まります。
翌年には東京美術学校予備科西洋画科志願に入学しますが、明治44年(1911)に彫刻科塑像部志望へ転科、数カ月後に退学しました。その後は竹久夢二などとともに『都会スケッチ』を出版したほか装幀を手がけるようになり、大正2年(1913)には竹久夢二の文画集『どんたく』の装幀をします。また、藤森静雄や田中恭吉とともに木版画の制作も始め、翌年には詩と版画の同人誌『月映』を自摺私輯で刊行しました。
創作版画協会・日本版画協会・日本版画奉公会・装幀相談所・国際アートクラブなどの設立に関わったほか、日本創作版画協会展・二科展・帝展などに出品・入選しています。また、日本若い版画家のための研究会「一木会」を自宅にて毎週開催するなど後進の指導にも積極的でした。
なお、恩地孝四郎は版画家だけでなく北原白秋・室生犀星・萩原朔太郎など作家との交流も盛んです。室生犀星・萩原朔太郎の同人誌『感情』、萩原朔太郎詩集『月に吠える』、室生犀星詩集『愛の詩集』、『近代劇全集』『北原白秋全集』などの装幀や挿絵を担当しました。大正期末から昭和初期にかけて装幀家としての地位を確立しています。


1 恩地孝四郎「東京駅口」


7 恩地孝四郎「二重橋早春」


8 恩地孝四郎「宮城前広場」


12 恩地孝四郎「竹ばし内」


14 恩地孝四郎「英使館前桜径」


19 恩地孝四郎「日比谷音楽堂」


28 恩地孝四郎「邦楽座内景」


29 恩地孝四郎「カフェ」


30 恩地孝四郎「ダンス場景」


32 恩地孝四郎「東劇斜陽」


74 恩地孝四郎「動物園初秋」


92 恩地孝四郎「明治神宮」


100 恩地孝四郎「井ノ頭池畔暮色」

◎川上澄生
川上澄生は青山学院高等科在籍時に木版画家・合田清の息子と同級生であり、そこから版画に関心を持ちました。初めて木版画を制作したのは青山学院高等科へ入学した明治45年(1912)のことであり、木下杢太郎の戯曲『和泉屋染物店』の木版刷りの口絵を見て、見よう見まねで制作したといいます。
大正6年(1917)に母の死をきっかけにカナダへ留学し、大正10年(1921)の帰国後は宇都宮中学校(現・宇都宮高等学校)の英語教師として働きながら本格的な木版画制作を始めました。この頃は創作版画運動が盛んであり、川上澄生も地元の版画雑誌の監修を行いながら作品投稿もしています。
大正15年(1926)に国画会へ出品した「初夏の風」は川上澄生の代表作となったとともに、20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人である棟方志功が油絵から版画家への転向を決意した作品として知られています。その後は詩画集「青髯」(自画自刻自摺り)、版画本「ゑげれすいろは」(自摺り手彩)、木版五四葉『とらんぷ絵』(自画自刻手彩)などを制作しており、そうして作られた木版限定本は100冊以上になります。なお、処女詩画集である「青髯」が頒布されたのは昭和2年(1927)であり、創作版画集『新東京百景』に収められている川上澄生の作品は比較的初期のものとなります。


4 川上澄生「丸ノ内一景」


6 川上澄生「丸ノ内曇日」


18 川上澄生「日比谷公園菊花大会」


27 川上澄生「銀座」


35 川上澄生「魚河岸」


40 川上澄生「浜離宮」


49 川上澄生「百貨店の内部」


68 川上澄生「浅草公園カジノ・フォーリー」


86 川上澄生「早稲田大学大隈侯記念大講堂」


91 川上澄生「観兵式」


96 川上澄生「青山墓地」


97 川上澄生「麻布三聯隊」

◎諏訪兼紀
諏訪兼紀は中学卒業後に本郷洋画研究所において、創設者であり洋画家の重鎮として知られる藤島武二の指導を受けます。大正8年(1919)に第1回日本創作版画協会展を見たことで版画家を志すようになり、翌年には思想家である桜沢如一の文芸誌に版画の挿絵などを発表しています。日本創作版画協会展や日本版画協会展などに出品しました。大正14年(1925)からは化粧品メーカーの資生堂意匠部で広告デザインなどを担当しており、写真家としても活動していた意匠部の発足者にして初代社長の息子である福原信三からその作風を好まれました。
その後は卓上社や創作版画倶楽部の一員として活動しますが、創作版画集『新東京百景』完成の年である昭和7年(1932)4月に36歳の若さで亡くなりました。


2 諏訪兼紀「行幸道路」


5 諏訪兼紀「丸ノ内仲通」


15 諏訪兼紀「帝国議事堂」


9 諏訪兼紀「桜田門」


16 諏訪兼紀「日比谷」


17 諏訪兼紀「市政会館」


33 諏訪兼紀「新橋演舞場」


43 諏訪兼紀「芝浦ハネ橋」


47 諏訪兼紀「江戸橋」


58 諏訪兼紀「深川塵埃焼却場」


63 諏訪兼紀「向島」


67 諏訪兼紀「浅草六区」

◎深沢索一
深沢索一は当初小説家を志していましたが、諏訪兼紀と出会ったことをきっかけに版画の制作を始めました。『詩と版画』『風』『港』といった版画誌に版画や詩を投稿したほか、日本創作版画協会展や日本版画協会展、春陽会展などに出品しています。創作版画集『新東京百景』の共同制作者の中では特に川上澄生と親しかったと伝わっています。
彫り込みが浅く摺圧の弱い「にじみ」を活かした多色風景木版やアイスキ(ノミ状の彫刻刀)を用いたモノクロ木版で知られており、東洋の水墨画のような陰影も持ち味です。『索一自選小品集』などを出版しています。洋画家・歌人・随筆家の中川一政、詩人・随筆家・翻訳家の尾崎喜八、随筆家の森田たまなどの装幀も手がけました。


10 深沢索一「坂下門」


34 深沢索一「坂下門」「昭和通ガソリンや」


36 深沢索一「築地」


39 深沢索一「京橋」


41 深沢索一「芝増上寺」


53 深沢索一「浜町公園」


54 深沢索一「清洲橋」


56 深沢索一「柳ばし」


62 深沢索一「言門橋」


64 深沢索一「千住大橋」


65 深沢索一「新荒川」


89 深沢索一「新宿カフェ街」


95 深沢索一「神宮球場早慶戦ノ日」

◎前川千帆
前川千帆は関西美術院で浅井忠や鹿子木孟郎洋画を学んだ後、明治から昭和にかけて活躍した日本の近代漫画の祖である北澤楽天が率いる東京パック社に入社します。その後、読売新聞社に移動し、次第に漫画家として認められます。
漫画執筆の傍ら画家・南薫造の影響を受けて版画の制作も行い、日本創作版画協会展・日展・帝展などに作品を出品しました。代表作「雪の余呉湖」のほか「国境の停車場」「軽井沢外人街」「とうもろこしを食ふ婆」を発表しており、絵本『童心』、『満蒙風物即興』『版画浴泉譜』なども刊行されています。


44 前川千帆「水上公園」


45 前川千帆「品川八ツ山」


50 前川千帆「ミニチアゴルフ」


51 前川千帆「地下鉄」


52 前川千帆「明治座」


57 前川千帆「深川木馬」


59 前川千帆「工場地帯本所」


69 前川千帆「酉の市」


76 前川千帆「神田青物市場」


88 前川千帆「新宿夜景」


98 前川千帆「渋谷百軒店」


99 前川千帆「五反田駅」

◎藤森静雄
藤森静雄は地元・福岡で洋画家の青木繁と交流を持ち、中学校卒業後は上京して白馬会研究所に通いました。東京美術学校に入学後は恩地孝四郎を通じて竹久夢二と知り合います。在学中から木版画を始め、田中恭吉や後の創作版画集『新東京百景』共同制作者である恩地孝四郎とともに詩と版画の同人誌「月映」を刊行しました。
東京美術学校西洋画科を卒業後は日本創作版画協会展や春陽会、日本版画協会展などで活躍し、帝展にも出品しています。垂直に突くようにして彫り進めるツキ彫りの描刻に特色があります。自作自画童話『三人兄弟』、自摺り版画集『大東京十二景』などを発表したのち、医師から失明の可能性を警告されたことをきっかけに童話の制作に注力しました。


11 藤森静雄「中央気象台」


13 藤森静雄「靖国神社」


31 藤森静雄「夜の歌舞伎座」


37 藤森静雄「月島」


42 藤森静雄「愛宕山放送局」


48 藤森静雄「三越附近」


55 藤森静雄「永代橋」


60 藤森静雄「震災記念堂」


70 藤森静雄「上野駅」


72 藤森静雄「表慶館春雪」


77 藤森静雄「ニコライ遠望」


80 藤森静雄「初夏赤門」


81 藤森静雄「帝大講堂」

◎逸見享
逸見享は大正2年(1913)に和歌山市立和歌山商業学校を卒業後、上京してライオン歯磨本舗小林商店に就職します。そして大正4年(1915)に亡くなった同郷(和歌山県和歌山市)の芸術家・田中恭吉の遺作展覧会で感銘を受け、経理担当社員や意匠部員として働きながら木版画の制作に勤しみました。翌年に詩人の大手拓次が林商店広告部の文案係として就職すると彼の数少ない友人となり、田中恭吉の影響を感じさせる詩画集を刊行しました。大手拓次は生前に詩集が発刊されることはありませんでしたが、逸見享は死後に刊行された『藍色の蟇』『蛇の花嫁』などにおいて、装丁家や編者として携わっています。 
逸見享の木版画はコマスキ(丸刀)を用いた緻密な彫りが特徴であり、日本創作版画協会展や日本版画協会に出品しています。


20 逸見享「帝国ホテル」


22 逸見享「四谷見附雨景」


25 逸見享「霊南坂」


61 逸見享「錦糸公園」


73 逸見享「府美術館」


78 逸見享「聖橋」


79 逸見享「本郷元町公園」


82 逸見享「植物園」


83 逸見享「牛込見附」


84 逸見享「神楽坂」


87 逸見享「戸山ヶ原」


93 逸見享「明治神宮表参道」


94 逸見享「外苑絵画館」

◎平塚運一
平塚運一は大正2年(1913)に地元である島根県八束郡津田村(現松江市)の旧制松江商業学校を中途退学したのち、版画家・洋画家・美術評論家である石井柏亭の洋画講習会に出席したことをきっかけに上京して版画の世界に入りました。石井柏亭に師事したほか、日本近代伝統木版の興隆に努めた木版彫師である伊上凡骨に彫版術を学びます。大正5年(1916)には二科展で版画、日本美術院展で水彩画と洋画が入選しました。翌年に帰郷し、大正7年(1918)には島根県松江市で生産される漆器「八雲塗」の伝習所で図案指導をしています。
その後は棟方志功や畦地梅太郎などの指導や東京美術学校の版画教室講師など、版画の普及に力を入れました。創作版画集『新東京百景』の制作を行ったのはこの時期です。昭和37年(1962)には活動拠点をワシントンD.C.へ移し、アメリカ各地で個展を開きました。
平成9年(1997)に102歳で亡くなった平塚運一は日本創作版画の先駆者にして版画界の最長老であり、昭和52年(1977)には勲三等瑞宝章(現・瑞宝中綬章)を受章しています。


3 平塚運一「八重洲口通」


21 平塚運一「門」


23 平塚運一「赤坂御所」


24 平塚運一「弁慶橋」


26 平塚運一「すきやばし」


38 平塚運一「新橋」


46 平塚運一「日本橋」


66 平塚運一「浅草仲見世」


71 平塚運一「上野公園」


75 平塚運一「不忍池雪景色」


85 平塚運一「江戸川公園」


90 平塚運一「代々木ヶ原」

※作品の通し番号は平凡社『新東京百景』に拠るものであり、各作品の奥付に記載されている号数とは異なります

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『少々昔噺自摺版画集』『鑑賞資料創作版画集』『涅槃古版画集』などお手元に気になる品がありましたらお気軽にご相談ください。


書名:川上澄生作品集
著者:川上不尽編
出版社:朝日新聞社
発行年:昭和50年(1975)
備考:限定100部、木版画3点付

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