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法隆寺の研究史ほか、宗教関係の古本買取いたします。

愛書館中川書房では『法隆寺の研究史』のような仏教・宗教に関する古本を買取りしております。

法隆寺の研究史
書名:法隆寺の研究史
著者:村田治郎
出版社:毎日新聞社
発行年:昭和24年(1949)

法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)は7世紀に推古天皇と聖徳太子(厩戸皇子)によって創建された寺院です。昔この地に斑鳩宮があったことから斑鳩寺とも呼ばれています。
『日本書紀』には推古天皇9年(601)に聖徳太子が交通の要衝であったこの地に移ることを決意して建設を開始、推古13年(605)に斑鳩宮に移り住んだと記されています。そして斑鳩宮に隣接するかたちで法隆寺が建立されました。しかし皇極天皇2年(643)に有力豪族である蘇我入鹿が聖徳太子の子・山背大兄王を襲った際に斑鳩宮は焼失、山背大兄王とその一族は法隆寺で自害しました。これにより法隆寺は聖徳太子の同母弟である来目皇子の子孫、登美氏の保護下に置かれることになります。
ですが平安時代初頭の頃になると登美氏は法隆寺の財物や奴婢を私物のように扱い始め、法隆寺の僧侶たちは登美氏からの自立を望むようになります。そして承和12年(845)に法隆寺の僧侶である善愷は、寺財の不当売却とその利益押領の廉で登美氏の中心人物である登美直名を太政官弁官局に告訴します。しかし善愷の訴訟方法が僧尼令(僧や尼を統制する法令)に違反していることや有罪判決がなされる前に弁官が登美直名を罵倒したことなどを伴善男が指摘、朝廷はその弾劾を受理し、「無罪」「公務上の失錯」「公務に無関係な犯罪」という議論が紛糾します。そこに、当時弁官の地位にはおらず弾劾当事者ではない小野篁が伴善男の主張に同意して草案に押印したため太政官もこれを了承する流れとなり、善愷や弁官は処罰を受け、訴訟が無効になったことで登美直名は無罪になったものの間もなく地方へ転任しました。

延長3年(925)に西院伽藍のうち大講堂と鐘楼が焼失し、その後も法隆寺は幾度か火災の被害に遭います。ただ幸いなことに全山を焼失するような大火災はなく、建築や仏像などの寺宝の多くは現在まで伝わっています。江戸時代には徳川秀吉の跡取り豊臣秀頼や徳川綱吉の生母桂昌院によって伽藍の修造が行われました。
しかし明治維新の神仏分離による廃仏毀釈の影響で寺領や権力者の後ろ楯を失い、寺の維持が困難となります。広い境内に多くの古建築を有する法隆寺には、それらを維持修繕する経済的基盤もなく、寺宝が散逸の危機にさらされてしまうのであれば日本で最も安全な皇室に一括献納することで法隆寺の寺宝を永遠に伝え、また下賜金によって傷んだ堂宇を修繕して運営も安定させようと、明治11年(1878)に300件あまりの宝物を皇室に献納しました。なお、このときに献納された宝物は仏具や染織品といった比較的小型で軽量なものや、屏風のように持ち運びの容易なものが主体でした。これらの宝物は現在「法隆寺献納宝物」として大部分は東京国立博物館の法隆寺宝物館に保管されていますが、「聖徳太子及び二王子像」「法華義疏 4巻」などのごく一部は皇室御物および宮内庁保管となっています。

昭和9年(1934)には「昭和の大修理」が始まり、第二次世界大戦をはさんで昭和60年(1985)に完成記念法要が行われました。なお昭和24年(1949)に修理解体中の金堂において不審火による火災が発生、法隆寺金堂壁画が焼損したことが、翌年の文化財保護法制定のきっかけとなっています。その後、昭和56年(1981)から寺内の膨大な文化財の再調査が実施され、調査結果が『法隆寺の至宝 昭和資財帳』にまとめられています。

法隆寺関係の古本は日本の仏教史・美術史の専門家から需要があります

法隆寺をはじめとする斑鳩周辺の仏教建築物は聖徳太子と縁が深いほか、仏教伝来直後の仏教建築物ということで、日本の宗教建築に深い影響を及ぼしたと考えられています。また、法隆寺の宝物は飛鳥・奈良時代の仏像や仏教工芸品が中心であり、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物として知られる東大寺の正倉院宝物よりもさらに古い時代にあたり、歴史的・文化的に価値が高いです。

法隆寺の伽藍配置は中門を中心に、東西左右対称に塔と金堂が配置されている通称「法隆寺式」であり、中国から伝わっていた従来の古代伽藍配置とは異なった新しい配置です。中国六朝時代の建築の影響を受け、その文化へと順応しながらも日本独自の確立した代表的な例としても挙げられる建築物です。法隆寺の伽藍配置は金堂や五重塔を中心とする西院伽藍、夢殿を中心とする東院伽藍に分けることができ、なかでも西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群として国際的にも有名です。なお、明治時代の半ば頃まで西院伽藍は創建当時のものがそのまま残っていると信じられていましたが、明治20年(1887)年頃から再建論が出始め、現在では『日本書紀』天智9年(670年)4月30日条の記述から、法隆寺は一度全焼したのち7世紀後半に西院伽藍が再建されたというのが定説です。

法隆寺西院伽藍の再建については「昭和の大修理」ほか昭和時代に行われた発掘調査などによって研究が進んでおり、『法隆寺の研究史』の著者である村田治郎も「昭和の大修理」に携わりました。
村田治郎は南満州工業専門学校の教授として建築史・建築意匠を担当する傍ら、旧満鉄沿線の歴史的建築遺構の調査や朝鮮の民家ほか中国大陸を中心とする住居形式の変遷などを研究したのち、日本と中国の建築文化の交流を研究するにあたって法隆寺に関する研究に新たな局面を開き、金堂の火災後修理も指導しました。著作には『法隆寺の研究史』のほか『東洋建築史系統史論』『支那建築の研究』『中国の帝都』『法隆寺建築文献目録』などがあり、中央公論美術出版より『村田治郎著作集 全3冊』も刊行されています。

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カテゴリ:取扱書籍 > 神道・仏教・キリスト教など宗教

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