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ニコライ2世とアレクサンドラ皇后ほか、歴史関係の古本を買取ります

愛書館中川書房では『ニコライ2世とアレクサンドラ皇后』ほか世界史関係の古本を買取りしております。

ニコライ2世とアレクサンドラ皇后 ~ロシア最後の皇帝一家の悲劇~
書名:ニコライ2世とアレクサンドラ皇后 ロシア最後の皇帝一家の悲劇
著者:ロバート・K・マッシー、佐藤俊二訳
出版社:時事通信社
発行年:平成9年(1997)

ニコライ2世は正式にはニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフといい、1613年から1917年に君臨したロシアの王朝ロマノフ朝の第14代皇帝にして、最後のロシア皇帝です。1868年に当時のロシアの首都サンクトペテルブルクで誕生したニコライ皇太子は、13歳のときに祖父アレクサンドル2世が反体制テロ組織による爆弾テロによって悲惨な死を遂げたことをきっかけに、専制政治の強化を決意しています。
1890年、両親の勧めで極東を中心とした世界旅行を行ったニコライ皇太子は1891年4月末から日本へ滞在、長崎や京都を中心に視察を楽しみます。しかし5月11日に人力車に乗っていたニコライ皇太子を滋賀県警の警察官が突然切りつけるという事件(大津事件)が起こり、以後ニコライ皇太子は日本人に嫌悪感を持つようになりました。
1894年、父であるアレクサンドル3世が病により崩御したことで、ニコライ皇太子は26歳でニコライ2世としてロシア皇帝に即位します。また、アレクサンドル3世の大葬の1週間後には「夢である」と日記に綴るほど愛していたイギリスのヴィクトリア女王の孫にあたるヘッセン大公国の四女ヴィクトリア・アリックス(改宗後はアレクサンドラ・フョードロヴナ)と結婚しました。1896年には戴冠式を執り行いますが、即位記念の記念祝賀会場において約1,400名の死者と1,300名を越す重傷者が出た(ホディンカの惨事)にも関わらず、何事もなかったかのようにその後の祝賀行事に出席したことから、貧困層を中心にロシア国民からの反感を買うことになります。また無口・無表情・内気でありほとんど人前に出ることのなかったアレクサンドラ皇后はロシア国民からの評判が良くありませんでした。

即位後のニコライ2世はヨーロッパ諸国に対しては友好政策をとりますが、日本との関係は三国干渉(フランス・ドイツ・ロシア)によって急速に悪化しました。そして不凍港を欲しがっていたニコライ2世は中国の旅順・大連を占領、極東への進出を強引に進めていきます。朝鮮半島を取られることを恐れた日本はロシアと交渉を行いますが、遅々として進まず、ついに1904年2月8日、日本は旅順のロシア艦隊を奇襲攻撃、日露戦争が開戦します。
日本を「黄色い猿」「野蛮な国」と侮蔑し油断していたニコライ2世は予期せぬ日本からの攻撃に驚き、彼にとって最後の希望であったバルチック艦隊もほぼ一方的に殲滅されるなど敗北が続きます。小国であるはずの日本に対して軍事的失敗が続いたことでロシア国内では革命への想いが強まりました。そして1905年1月、莫大な戦費や戦役に苦しんだ民衆がニコライ2世への嘆願書を携えてサンクトペテルブルクの宮殿前に大勢集まると、進行に参加した6万の群衆に兵士が発砲して多数の死傷者が出ました。この「血の日曜日事件」により、敗戦による威信の低下だけでなく皇帝崇拝も崩れ去りました。その後はモスクワ総督であるセルゲイ大公の暗殺や戦艦ポチョムキンの水兵による反乱など民衆や兵士たちによる全国規模の反政府運動が続きました。これらを収束させるために「十月詔書(国家秩序の改良に関する詔書)」で国会開設と憲法制定を発表しますが、専制を志向していたニコライ2世が国会に対して拒否権を行使するなど、その効果は一時的でしかありませんでした。

祈祷僧グリゴリー・ラスプーチンが台頭したのはニコライ2世の権力が不安定になっていたこの時期であり、血友病患者であったアレクセイ皇太子の症状改善に貢献したことでアレクサンドラ皇后から「我らの友」と絶大な信頼を得て、愛妻家であったニコライ2世もこれに同調しました。しかしラスプーチンが政治に参加するようになると司教や貴族などからの反発もうまれ、1914年に開戦した第一次世界大戦におけるニコライ2世不在時にアレクサンドラ皇后とともに失政を行うと民衆からも憎悪の対象となり、皇后との肉体関係も噂されるなど、皇族の権威はさらに失墜しました。1916年12月にラスプーチンが暗殺されると、翌年にはロシア革命が起こります。そして2月革命の影響によりニコライ2世は退位、弟のミハイル・アレクサンドロヴィチ大公が即位を拒否したことでロシア帝国は崩壊しました。ニコライ2世とその家族は一般市民となり、シベリア西部の都市トボリスクに流されます。

十月革命が起こると一家はウラル地方の都市エカテリンブルクへ移され、イパチェフ館に監禁されます。そして白軍(反革命軍)がエカテリンブルクに近づくと、元皇帝が白軍に取り戻されることを恐れたボリシェビキ軍(後のソビエト社会主義共和国連邦の最高指導者ウラジーミル・レーニンが率いた左派のひとつ)によって、1918年7月17日に一家全員と従者が銃殺などによって殺害されました。遺体は所持品を剥ぎ取られ、元皇帝一家だと分からないようにある者は硫酸がかけられのち顔を粉砕され、ある者は焼かれたのち骨を徹底的に粉砕されるなどの処理がなされてから野原に埋められました。
7月25日にエカテリンブルクが白軍の手に落ちると一部の所有品や遺体が見つかり、その後は1979年、1991年、2007年と幾度かにわたって遺体の一部や所持品が発見されています。2000年8月、ニコライ2世とその家族はロシア正教会によって「受難を耐える者」としてほかのロシア革命時の犠牲者とともに列聖されました。

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ニコライ2世の治世である20世紀初頭のロシアは日露戦争や第一次世界大戦の勃発と敗北、ラスプーチンの台頭・暗殺、二月革命による帝政の崩壊、十月革命によるボリシェヴィキの政権獲得、ソビエト社会主義共和国連邦の形成と激動の時代でした。

『ニコライ2世とアレクサンドラ皇后 ロシア最後の皇帝一家の悲劇』はニコライ2世、アレクサンドラ皇后、オリガ皇女、タチアナ皇女、マリア皇女、アナスタシア皇女、アレクセイ皇太子、ニコライ2世の父アレクサンドル3世、母マリア・フョードロヴナ皇后といったロマノフ家の人々の日常生活や雰囲気、性格などを丁寧に描写した歴史物語です。欧州の王族とその婚姻関係や血友病の遺伝、血友病に対する皇后の苦悩とラスプーチンへの傾倒、欧州を巻きこむ大戦への皇帝の苦悩についても、ほかの欧州王室や皇室・政府関係者、大使の報告など書簡や日記を交えて記されています。

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カテゴリ:取扱書籍 > 歴史・戦争・江戸東京など

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