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明治歌舞伎の成立と展開ほか、歌舞伎関係の古書を買取いたします。

愛書館中川書房では『明治歌舞伎の成立と展開』ほか、歌舞伎関係の古書を買取りしております。

明治歌舞伎の成立と展開
書名:明治歌舞伎の成立と展開
著者:漆澤その子
出版社:慶友社
発行年:平成15年(2003)発行

歌舞伎は江戸時代に誕生して以降、現代まで伝わる日本の伝統芸能のひとつです。能・狂言・人形浄瑠璃よりも町人に親しまれた庶民演劇であり、歓楽の場として成長しました。明治時代以降も歌舞伎座という大劇場で安定した興行を行っているという点においては、他の伝統演劇と大きく異なる点といえます。
明治維新以後、西洋崇拝の風潮によって人力車・洋装・毛布・汽車・新聞・ダイヤモンドなどの西洋的な風俗が流行しました。それを受けて歌舞伎の世界でもそれらの風俗を世話物として取り入れた「散切物」が作られます。しかしその一方で、文明開化の影響により西洋演劇の内容が知られるようになると、政府は日本古来の歌舞伎を近代国家にふさわしい劇にしようと干渉を始めます。明治5年(1872)には狂言綺語(作り話)の禁止と道徳的な筋書きへの改良が唱えられました。しかし江戸時代では現実そのままに書く事を禁じられていた歌舞伎にとって「狂言綺語」は長きにわたって大切にしてきた価値観であり、上流階級の人間や外国人に喜ばれるような狂言では一般の観客が離れるといった理由から歯牙にもかけていなかったと伝わっています。
ですがそうした風潮のなか、歌舞伎の革新を志した歌舞伎役者がいます。五代目尾上菊五郎や初代市川左團次とともに、のちに「團菊左時代」を築くことになる九代目市川團十郞です。團十郎は明治維新の以前から、従来の歌舞伎の表現上の虚構を改め、化粧や衣裳などの扮装やせりふ回しなどをなるべく事実に近い形で演じたいという希望を持っていました。そして明治16年(1883年)には学術関係者や文化人と組んで時代考証を重視した演劇に取り組み、翌年から新史劇を上演します。しかし團十郎の新史劇は一般人には難しく、観客の支持を得られずに仮名垣魯文に「活歴物」と揶揄されることになりました。
そのころ明治政府は鹿鳴館時代ともいわれる第1次伊藤内閣であり、政治家の末松謙澄が声を上げ、伊藤博文・井上馨・渋沢栄一などが賛同したことで明治19年(1886)に演劇改良会を結成します。そして女形や花道の廃止、劇場の改良などを提言し、歌舞伎の荒唐無稽さや前近代的な慣習を否定して近代社会にふさわしい作品を上演することを唱えました。歌舞伎に対する価値観が一致した市川團十郞と明治政府はともに「演劇改良運動」を進め、翌年には「天覧歌舞伎」が実現します。天覧歌舞伎とは天皇や皇族が臨席した場で演じられる歌舞伎のことで、当時外務大臣だった井上馨の邸宅に設けた仮設舞台で明治天皇や皇后などの臨席によって実現されました。この天覧歌舞伎では『勧進帳』『高時天狗舞』『操三番叟』『漁師の月見』『元禄踊』『山姥』『夜討曽我狩場曙』『寺子屋』『伊勢三郎』『土蜘』『徳政の花見』『靭猿』『静御前吉野落』『六歌仙』などの演目が4日間にわたり上演され、それまで能や相撲に比べて低い評価を受けていた歌舞伎の社会的地位が上昇するきっかけとなりました。以後、歌舞伎は政府関係者の庇護を受けながら日本を代表する古典芸能へと発展していきます。ですが天覧歌舞伎の成功とは裏腹に、演劇改良運動は好調とはいえませんでした。これは市川團十郎の新史劇が観客の支持を得られなかっただけでなく、天覧歌舞伎での『勧進帳』上演の際に末松謙澄が演出や脚本に手を加えて長唄の文言・助詞・助動詞まで改正しようとしたことに対して同じく演劇改良会員の福地桜痴が新聞紙上で批判したこと、後援者である井上馨の失脚などの影響があります。そうして演劇改良運動は中途半端なままに終わりました。

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しかし演劇改良運動は、現在演じられている歌舞伎へと残したものがありました。
市川團十郎は歌舞伎の荒唐無稽さだけでなく、七五調の美文、厚化粧、定型の動きなど、彼の価値観に反した歌舞伎の特徴を否定しました。そしてセリフと動きを極力減らして「目と顔」による表現、つまり「腹芸」によって歌舞伎を演じようとしました。こうした團十郎の演技志向は観客にも共感されるようになり、この人物造形が従来の歌舞伎にも適応され、現在の歌舞伎の基礎になっています。
そして末松謙澄を批判した福地桜痴は、金融業者の千葉勝五郎と共同経営で明治22年(1889年)に東挽町に歌舞伎座を設立しました。柿落しには、明治の三大名優と謳われた九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎、初代市川左團次といった「團菊左」が揃って出演し、河竹黙阿弥の『俗説美談黄門記』や大切所作事『六歌仙』などの演目をを演じました。福地は経営を離れたのちも歌舞伎座の座付作者となって團十郎と共に近松などの作品を改作したり、活歴物や新舞踊などの脚本を多数執筆しました。福地の活動は川上音二郎の新派の発生や妻である川上貞奴を始めとする女優の台頭、坪内逍遥作・松居松葉・森鷗外など外部の脚本の採用、帝国劇場開場へと繋がりっていきます。そして歌舞伎座は常に歌舞伎界をリードし、歌舞伎座を本拠とする九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎を頂点として役者集団の階層性が定まったほか、歌舞伎の中央集権化、改良演劇の確立、歌舞伎演出の様式美化の促進など、日本の演劇文化に多大の貢献を果たしていきます。
そして明治36年に九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎が、翌年には初代市川左團次が亡くなり、「團菊左」の死によって明治歌舞伎の絢爛たる時代は終焉を告げました。

『明治歌舞伎の成立と展開』は明治期の歌舞伎の歩みを劇場・狂言・役者の3つの要素から検証した研究書です。日本芸能史を明治時代に演じられた歌舞伎はどういったものだったのか、歌舞伎の劇場はどのように改革されたのか、天覧歌舞伎の顛末や歌舞伎座が開場するまでの道のりについて論じられています。先に述べた明治時代の歌舞伎の流れなどについて、より深く知ることができる1冊です。

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